長者町来歴


発祥〜現在

1612年(慶長17年)頃から1616年(元和2年)までに、名古屋城の築城に伴って清洲から名古屋への都市の移転(清洲越し)が行われ、名古屋という都市が誕生した。その際に清洲の富豪達が住む長者町が住民ごと名古屋に移転したことから、城下町の名前として引き継がれたとされている。伝馬町筋を境に名古屋城に近い区画を上長者町とし、遠い区画を下長者町とした。

庶民文化が花開く1804年~1830年(文化文政年間)からそれにつづく1841年まで(天保年間)に第一期の黄金期を迎えた。明治に入ると芸舞妓の置屋が34軒の軒を連ねており、中でも一番権威のある盛栄連が長者町にあったとされている。

1889年(明治22年)市制施行に伴い名古屋市 上長者町、下長者町となる。

1940年代(昭和20年代)後半、第2次世界大戦後の戦災復興計画による区画改変によって、碁盤の目上の街並みと広い道路を持ち、それまでの盛り場としての長者町から、繊維問屋を中心とした長者町繊維街として生まれ変わる。高度経済成長期と共に発展し、現在も当時建設されたビルが当時の長者町の佇まいを残している。

1966年(昭和41年)の住居表示制度の施行によって全域が名古屋市中区錦2丁目となり、以降、長者町という名称は住所としては使われなくなったが、長者町通りにそって問屋街が形成され東京の横山町、大阪の丼池筋に並ぶ日本三大繊維問屋街のひとつとして隆盛を極めた。長者町通り沿いの交差点に掲げられた「長者町繊維街」の看板が、現在もかつての繊維街としての姿を今に伝えている。